今のような形態になったのは江戸時代からだよ。
映画「テルマエ・ロマエ」を観たかな?
古代ローマの浴場設計技師が現代日本にタイムスリップし、
銭湯の凄さに触発されて斬新なローマ風呂を次々と開発する、
なんとも奇想天外で痛快な物語だったね。
俳優さんの名演技が忘れられないね。
おっと、最初から話がそれてしまった。
映画の世界と混同してしまうと、 ローマ時代より日本の銭湯の方が、
歴史が古いような錯覚に陥りそうだが、
実際に今の銭湯の原型ができたのは江戸時代から、というのが定説だ。
そもそも水で体を清めるということ自体は日本独特の古い風習だ。
日本は海に囲まれ、豊かな水資源を持っている。
加えて、温泉もあちこちで沸いていたからね。
縄文時代の頃から地中から湧いた湯に入っていたということは、 前にも説明したよね。
(リンク:日本人はいつからお風呂にはいっていたの?) 人々は身近にある海、川、湖、地下水や温泉で、体を浄め、病を癒してきた。
そんな習慣をもっていた日本に、
仏教が伝来し(538年)入浴施設が どんどん増えていくことになる。
釈迦の弟子で医師でもあったシーヴァカの「温室経」には
“入浴はすばらしいことで、すべての僧が行うべき”と書かれている。
奈良の東大寺には「大湯屋」という入浴施設も残っている。
寺院はかつて地域の集会場や病院のようなこともしていた。
入浴はさまざまな病気を治す手段であり、
それを一般庶民に 開放することは、功徳を積むという考えがあった。
結果的に寺院を通じて、全国に入浴習慣と施設が広まっていく。
奈良時代に入ると、少し様相が変わる。
荘園制度が崩壊して 寺院の財政も苦しくなってくる。
その結果、これまで 無料で開放していた入浴施設の利用費をとるようになるんだ。
まるで現代日本における消費税導入のような話だね(笑)
その後、平安時代、鎌倉時代を通じ、入浴場は着実に普及しながら、
江戸時代を迎えて大きく花開く。
ざっくりだけどこれが日本の銭湯の歴史というわけだ。
ちなみにローマと日本の銭湯の歴史を比較してみよう。
テルマエ・ロマエの舞台は、ハドリアヌス帝時代で西暦 130年代の古代ローマ時代。
大湯屋がある東大寺の創建年 は推定で7001年~800年。
正確な比較とは言えないけれど、 銭湯の歴史という意味では
ローマの方が先駆者ということだ。 (ちょっと悔しいな。)
参考・引用元『入浴検定公式テキスト お風呂の「正しい入り方」』